未来を拓く仲間たちへ

誰かのために生きてきた21年間、気付いたら僕は空っぽな人間でした。しかし、ある芸能人の方との出会いから僕は変われた、自分自身で人生を切り拓き、いつか恩人に胸を張って再会する、それが僕の人生の目標です。→自分を変える、未来を切り拓く、そんな思いをもった方達とつながれる。そんな記事を書いていきたいです。

全てを失った『高校選択』①

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        写真:僕の地元

皆さん、足を運んでいただいてありがとうございます!

今日は僕の「高校選択」での失敗談を話したいと思います。

 

【友達と遊べない学生時代】

 僕は、保育園の頃から、両親に塾に通わせてもらっていました。

そのおかげで、学生時代、勉強で困ったことはありませんでした。

だから、無意識のうちに僕は、小学校4年生くらいから「将来は有名な学校に進学しないといけない!」という責任感みたいなものが芽生えていました。

周りの子が遊んでいるのに、自分だけ塾に行って、なんでだろう?って考えたこともありました。だって毎週、水、金、土と春休み、夏休み、冬休みの半分が塾に奪われていたんですよ。しかも、それ以外の日は全部テニスに消えていました。今思えば、もっとみんなと遊びたかったなって思います。

 

【向かえた高校受験】

 遂にやってきた高校受験、日々の努力や部活動の結果から県内でもトップクラスの高校に推薦をいただき、進学することができました。中学の時は、荒れていた時代もあって、内申点の合計が29の時はさすがに頑張らないといけないなと思って、最終的に42まで上げた。なんてこともありました。中学校の中で、その高校に行くのが僕だけということもあって試験の前日には、クラスメイト一人一人から応援の気持ちがこもった手紙をもらった、なんてこともありました。本当に素敵な仲間と時間を過ごせれていたんだなって、とてもありがたいことだったということに今になって気付かされます。

 

でも、このとき違和感を僕は感じていました、、、なんでこの高校受験してるんだろうって。別に行きたいわけでもないのに、なんでこんなに必死になってるんだろうって。答えは簡単です、僕は皆が進学する地元の高校に本当は行きたかった。でも、昔から塾に通わせてくれた「両親の期待を裏切って悲しませたくはない」。だから、その行きたいとも思わない高校に行くしかなかったんです。

僕は、普通なら、自分の将来のために真剣にどの高校に行こうか考える高校受験を、親の決めた高校に行けば良いと判断して、簡単に決めてしまったんです。確かに僕の選んだ高校は高専といって有名な企業とのパイプが強く卒業すれば100%就職できるという就職難だった当時のことを考えれば最高の選択です。しかし、『自分の人生を誰かに決めてもらった』ことで僕の人生は大きく狂い始めてしまいます。

 

全てを失った『高校選択』② へつづく。